はじめに2022年7月人的資本開示の需要が高まる中、副業制度においても企業において開示の要請がなされる中、人的資本開示と副業の関係性についての注目が高まっています。人的資本開示と副業の関係性を経済産業省産業人材政策室に所属されていた堀田陽平弁護士に解説いただきました。1.人的資本経営の重要性昨今、「人的資本」という言葉が新聞等のメディアで見られるようになってきました。これは、経済産業省が令和2年9月に公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告である「人材版伊藤レポート」の影響が大きいと思われます。人的資本経営は、実践に関して「人材版伊藤レポート」が、開示に関して「人的資本開示指針」が指針として公表されており、「実践」と「開示」が車の両輪となって推進されることが期待されています。2.「実践」の指針である人材版伊藤レポートまず、実践の指針である人材版伊藤レポートでは、経営戦略と人材戦略の連動を図ることを狙いとして、経営陣、取締役会、投資家に求められる役割を示すとともに、企業に求められる「3つの視点・5つの共通要素」(3P・5Fモデル)を示しました。<3つの視点>① 経営戦略と人材戦略の連動② As is‐To beギャップの定量把握③ 人材戦略の実行プロセスを通じた企業文化への定着<5つの共通要素>①動的な人材ポートフォリオ、個人・組織の活性化②知・経験のダイバー シティ&インクルージョン③リスキル・学び直し④従業員エンゲージメント⑤時間や場所にとらわれない働き方そして、令和4年5月に経済産業省が公表した「人材版伊藤レポート2.0」では、この「3つの視点・5つの共通要素」を実現するための「アイデアの引き出し」を提供しています。3.人的資本経営の実践の観点からの副業・兼業の推進人材版伊藤レポート2.0では、人的資本経営の観点からも副業・兼業の推進の考え方が示されています。具体的には、共通要素④の「社員エンゲージメント」を高めるための取組として、「副業・兼業等の多様な働き方の推進」が挙げられています。なぜ、副業・兼業の推進が社員エンゲージメント向上の取組の一つとして位置づけられているのか、少し細かく見ていきましょう。時折、「エンゲージメント」を「従業員満足度」と同義で用いている例も見られますが、人材版伊藤レポートでは、「エンゲージメント」を「企業が目指す姿や方向性を、従業員が理解・共感し、その達成に向けて自発的に貢献しようという意識を持っていること」を指すとし、従業員満足度とは異なるとしています(人材版伊藤レポート第14頁)。エンゲージメントの向上はイノベーション創出の前提となるものであり、営業利益率や労働生産性と正の相関関係がある可能性が指摘されています。こうした「エンゲージメント」を向上させるには、個々の従業員のキャリア形成の考え方等にも向き合う必要があり、社内での画一的で硬直的なキャリアパスではなく、副業・兼業を含めた多様なキャリアパス実現の機会や従業員経験の機会を用意することがポイントとなってきます。そこで、エンゲージメント向上の取組の一つとして、「副業・兼業の推進」が挙げられています。人材版伊藤レポート2.0で示された具体的な工夫としては、工夫1:社内・グループ内での副業・兼業を試行工夫2:副業・兼業を認める範囲の見直し工夫3:副業・兼業とリスキル・学び直しの連動が挙げられています。その他、人材版伊藤レポート2.0では、副業・兼業人材の受入れの視点からも、必要な人材を獲得する手段として「プロジェクトベースで週2日にわたって副業人材を受け入れる」という方法も活用すべきとしています(共通要素①「動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用」の関係)。その他、サバティカル休暇や留学中を行う人材の穴埋め手段として、副業・兼業人材の受入れが挙げられています(共通要素③「リスキル・学び直しのための取組」の関係)。4.副業・兼業推進に関する情報開示の注意点上記は人的資本経営の「実践」の観点からの副業・兼業の推進でした。冒頭述べたとおり、人的資本経営は「実践」と「開示」が車の両輪となり推進されるため、人的資本の情報開示の観点からも副業・兼業の推進状況を開示することが適当でしょう。また、令和4年7月に改定された副業・兼業ガイドラインにおいても、副業・兼業を許容しているか否か、またその許容条件に関する情報開示が推奨されています。副業・兼業の情報開示にあたっては、以下の点に注意する必要があるでしょう。注意点①:副業・兼業の一律禁止は法的に認められないそもそもも、法的には副業・兼業は、原則として禁止できないというのが裁判例の定着した考え方です。なぜなら、本業での労働時間以外の時間はプライベートの時間であり、法的拘束が及ぶものではないですし、そもそも個人には憲法上職業選択の自由が保障されているからです。したがって、副業・兼業を認めることは、人的資本経営の実践の「選択肢」というよりは、そもそも副業・兼業を認めることは法的な要求でもあり、「認める/認めない」という点に企業の裁量はないということを認識する必要があるでしょう。注意点②:適切な許容条件の設定上記のように副業・兼業は原則として禁止できないため、そもそも「副業・兼業を一切認めていない」ということを開示することはないと思われます。したがって、実際に問題になるのは、どういう許容条件を設定するかという点になります。この点について、裁判例も副業・兼業は原則として自由でることから恣意的な条件設定を認めておらず、副業・兼業の禁止に関する裁判例を踏まえた適切な許容条件を設定する必要があります。この点、多く見られるのは、業務委託契約による副業・兼業であることを副業・兼業の許可条件とする例です。しかし、雇用契約か業務委託契約かという契約形態を副業・兼業の許容条件とすることについては、副業・兼業ガイドラインQ&Aで消極的な見解が示されています(Q1‐21)。実際、裁判例では、雇用契約による副業・兼業の場合でもあっても、労務提供上の支障や競業避止による不利益の可能性等がない限りは、副業・兼業を原則として禁止できないとして、無許可での副業・兼業を理由とする懲戒解雇等を無効とするものが多数見られます。したがって、裁判例に照らせば、副業・兼業を許可条件については、基本的に副業・兼業ガイドラインで示されている以下の条件とすることが適当でしょう。① 労務提供上の支障がある場合② 業務上の秘密が漏洩する場合③ 競業により自社の利益が害される場合④ 自社の名誉や信用を損なう行為や信頼関係を破壊する行為がある場合注意点③:経営戦略との関連性のストーリーを示す上記のとおり、そもそも副業・兼業は原則として禁止できないわけですが、人的資本経営として副業・兼業をより積極的に推進していく場合、「経営戦略との関係で、なぜ副業・兼業の推進が企業価値の向上に寄与するのか」ということを、ストーリーを持って開示することが重要となります。これは、人的資本経営は経営戦略と人材戦略の連動を目的としている以上、それぞれの施策が経営戦略とどのように連動するのかを開示し、機関投資家等と対話する必要があるからです。副業・兼業を認めることは、法的な要請でもあることから、一見して経営戦略との連動が見えにくいため、特に意識する必要があるでしょう。5.副業・兼業に対するリスク管理も重要人的資本経営の観点から、企業価値向上のために副業・兼業を推進しながら、情報漏洩や従業員の過労等を招いてしまっては、かえって企業価値を毀損することとなります。したがって、副業・兼業の許容とその条件の設定だけでなく、許容した後のリスク管理も適切に行いましょう。執筆者プロフィール堀田陽平(ほったようへい)弁護士(日比谷タックス&ロー弁護士法人所属)2020年9月まで経済産業省産業人材政策室に任期付き職員として就任し、兼業・副業の推進やテレワーク定着等の柔軟な働き方の促進、フリーランスの活躍、HRテクノロジーの普及等、生産性向上に向けた働き方改革の推進政策の立案に従事。人材版伊藤レポートの策定も担当。兼業・副業や人的資本経営に関する講演等を行う。